心理カウンセラーつるちゃんのブログ

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連載「私の恋文」第6回。

粉雪の降る夜。私は部員達に頼んで、歌織ちゃんの誕生日サプライズを

計画しました。

 

いつものように歌織ちゃんが部室の前に来たのを確認して、クラッカーを

鳴らし、みんなでハッピーバースデーの合唱合奏。

ささやかなパーティーにする予定でした。

 

ところがクラッカーが鳴った瞬間、歌織ちゃんは「ダメだって言ってるじゃない!」

とささやいて、足を引きずりながら去って行きました。

 

私たちは何が起こったかもわからず呆然としました。

それ以来、歌織ちゃんが部室に来ることはありませんでした。

マンドリンクラブも辞めたという噂をあとで聞きました。

 

私は「やっぱり自分に魅力がないんだ」と自分のことばかり考えて、

また孤独になりました。

 

実は私は大学での活動以外に、地元の勤労青少年ホームというところでも

音楽活動をしていました。

 

歌織ちゃんのことがあって寂しい気持ちをそこの仲間達とのふれあいで

慰めていました。

そしてそこで知り合った看護師志望の女性とつきあうことになりました。

しかし、白衣の天使からも私の自己中を指摘され失恋しました。

 

またもとの寂しい生活に戻りましたが、教育実習が始まり、自分の将来を

真剣に考えなくてはならない時期が来ました。

 

その時期にフラフラしている私を支えてくれたのが5歳年上の今の妻です。

妻と知り合って私はすぐに結婚のことを口にするようになりました。

妻の年齢も理由の一つですが、実家(貧しくてアルコール依存症で暴力を振るう父がいる)

から早く独立したいという気持ちが強かったのです。

またもや自己中です。

 

しかし、妻は「学校の先生になるまでは結婚しない」と私を突き放しました。

その言葉で目の覚めた私は何とか卒業論文も提出し、高校教諭の道も開けました。

 

3年間教師を経験して後、教師という仕事に限界を感じた私は、予備校講師に

転職しました。

教師になってみて、あの、中学生のときの担任の先生が私を見捨てた気持ちが

わかりました。

私は教師として生徒を立派な社会人にすることができなかったのです。

私の力量のなさもありますが、保護者との関係、社会の中の教師の立場が

あまりにも理想からかけ離れていたからです。

 

話は前後しますが、教師時代に妻と結婚しました。

予備校講師の生活は勉強の毎日でした。

たいした能力も無い講師が、東大京大志望の生徒に指導するのは

至難の業でした。

 

しかし、朝早く出勤して、夜は門が閉まるまで勉強を続けた結果、

40歳になる頃には、ちょっとした人気講師になるころができました。

 

そんな時です。大学時代の友人から電話がかかってきました。

「歌織ちゃんが入院している」という内容でした。

私は病院にすぐ駆けつけました。

そこには学生時代と変わらない澄んだ瞳の天使のような姿がありました。

 

「ごめんね鶴添君。連絡しないでおこうと思ったけど、容子(大学時代の共通の友人)が

知らせた方が良いって言うから。」

 

声を聴いて驚きました。とても苦しそうで、か細い声。でも笑顔は変わりませんでした。

それから、仕事の都合の付く限りお見舞いに通う日々が始まりました。

またそれも自己中です。

 

~第6回終わり~

 

 

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